NON HUMAN通信 —AI×Cryptoで加速する新世界への扉—

NON HUMAN通信 —AI×Cryptoで加速する新世界への扉—

Share this post

NON HUMAN通信 —AI×Cryptoで加速する新世界への扉—
NON HUMAN通信 —AI×Cryptoで加速する新世界への扉—
【後編】法か、人命か〜ダークウェブ殺人依頼サイト「Besa Mafia」:元捜査指揮官が見た介入の是非
Copy link
Facebook
Email
Notes
More

【後編】法か、人命か〜ダークウェブ殺人依頼サイト「Besa Mafia」:元捜査指揮官が見た介入の是非

目の前に迫る命の危機を知った時、あなたならどうする? 傍観者でいるのか、法を越えて介入するのか。Besa Mafia事件を追ったジャーナリストたちの苦悩と決断。元刑事として、法執行の限界と民間協力の可能性、そして情報化社会における「正義」のあり方を問い直す。

Kanerin's avatar
Kanerin
May 23, 2025
∙ Paid
1

Share this post

NON HUMAN通信 —AI×Cryptoで加速する新世界への扉—
NON HUMAN通信 —AI×Cryptoで加速する新世界への扉—
【後編】法か、人命か〜ダークウェブ殺人依頼サイト「Besa Mafia」:元捜査指揮官が見た介入の是非
Copy link
Facebook
Email
Notes
More
Share

【前編】では、ダークウェブ上に存在した殺し屋斡旋サイト「Besa Mafia」が、実は巧妙な詐欺サイトであったにもかかわらず、それを信じた人々によって現実の悲劇が引き起こされてしまった経緯、そして、アメリカ・ミネソタ州で起きたエイミー・オールワイン事件という、あまりにも痛ましい結末についてお話ししました。

https://open.substack.com/pub/nonhumanmagazine/p/besa-mafia-1

今回もディープな世界にお連れします。
心の準備はよろしいでしょうか。

夫スティーブン・オールワインの裏切りと、法執行機関の連携ミスによって失われた命。この事実は、事件の真相を追っていたサイバーセキュリティ専門家クリス・モンテイロ氏と、ジャーナリストのカール・ミラー氏に、計り知れない衝撃と、重い責任感を負わせました。

彼らの手元には、モンテイロ氏がBesa Mafiaの「システムの穴」からダウンロードした、900件以上に及ぶ生々しいメッセージデータ、すなわち「キルリスト」が存在していました。エイミー事件は、そのリストに記された悪夢の、ほんの一端に過ぎなかったのです。

今回の【後編】では、そのキルリストに隠されていた、さらに深い人間の闇、モンテイロ氏たちが直面した倫理的な葛藤と壮絶な闘い、そして、この事件が現代社会に突きつける課題と教訓について、元刑事としての視点も交えながら、さらに深く掘り下げていきたいと思います。覚悟はよろしいでしょうか? ここから先は、さらに生々しく、そして心を抉るような現実が待ち受けています。

外科医の歪んだ欲望〜ロン・イルグ事件の異常性

キルリストに目を通す中で、モンテイロ氏とミラー氏が特に強い衝撃と嫌悪感を覚えたのが、アメリカ・ワシントン州の新生児専門の外科医、ロン・イルグによる依頼でした。新生児外科医といえば、高度な技術と倫理観が求められ、社会的に尊敬される職業の一つです。しかし、彼がBesa Mafiaに託した計画は、その社会的地位とはおよそかけ離れた、異常なほど倒錯し、冷酷なものでした。

ターゲットは、当時、彼と離婚協議中だった妻のジェニファー。しかし、イルグが依頼したのは、単なる殺害ではありませんでした。報酬として、当時のレートで日本円にして500万円以上(成功すればさらにボーナスを上乗せ!)という高額なビットコインを用意し、彼がBesa Mafiaに指示した計画は、次のような、およそ人間の所業とは思えない内容だったのです。

妻を誘拐し、人里離れた場所に監禁しろ!
そして、強力な麻薬(オピオイド系の薬物)を投与し続け、薬物依存状態にしろ!
彼女の精神を徹底的に破壊し、完全に抵抗できなくさせ、私の言いなりになるように洗脳するんだ!
定期的に写真を撮って私に送れ。
最終的には、私の元に戻ってこさせろ!

…信じられますか?

これは、単なる憎悪や復讐心からくる殺意とは明らかに異なります。相手の人格を完全に否定し、薬物と恐怖によって支配し、自分の所有物として意のままに操ろうとする、極めて歪んだ支配欲の表れです。依頼メッセージには、誘拐を実行するのに最適なタイミング、使うべき薬物の種類や量、監禁場所の条件、精神的に追い詰めるための具体的な指示、さらには、自身が遠隔から状況を監視するための方法まで、まるで精密な手術計画書のように、詳細かつ具体的に記されていたといいます。

刑事時代、僕も様々な異常犯罪に接してきましたが、これほどまでに冷徹で、計画的で、そして相手の人格破壊を目的とした犯罪計画は、そうそうお目にかかれるものではありません。社会的地位のある人間が、その知性と計画性を、これほどおぞましい方向に行使する。その事実に、言いようのない恐怖を感じました。

モンテイロ氏とミラー氏のチームは、メッセージに含まれる断片的な情報(ターゲット女性の特徴、依頼者の職業が外科医であることなど)から、依頼者がロン・イルグ医師であると特定します。そして、彼らは迷うことなく行動を起こしました。エイミー事件の二の舞は、絶対に避けなければならない。彼らはまず、ターゲットである妻ジェニファー本人に、極秘裏に接触を図りました。

ジェニファーは、すでに夫イルグによる執拗な追跡や監視、飲み物に何かを混入されているのではないかという恐怖に怯え、精神的に追い詰められていました。さらに、彼女の口から語られたのは、イルグが過去に、別の愛人女性を、罰として自宅の敷地内にある浄化槽(!)の中に一時的に監禁したことがある、という衝撃的な事実でした(イルグ本人は、後に特殊なSMプレイの一環だったと主張したそうですが…)。この事実は、彼が持つ異常な支配欲と危険性を裏付けるものでした。

モンテイロ氏たちは、これらの情報をまとめ、直ちにFBIに提供しました。今回は、エイミー事件の教訓が生かされたのか、FBIは迅速かつ慎重に捜査を開始。イルグが、Besa Mafiaが指定した(と彼が信じていた)誘拐実行日に合わせて、自身のアリバイ作りのためにメキシコへ旅行する計画を立てていることを突き止めます。

そして、彼が意気揚々とメキシコから帰国した日、空港には10人以上のFBI捜査官が待ち構えていました。彼はその場で拘束され、厳しい尋問を受け、同時に自宅も家宅捜索を受けます。その際、彼の書斎にあった、彼の指紋認証でしか開けられない特殊な金庫の中から、Besa Mafiaにログインするためのユーザー名とパスワードが書かれた一枚の付箋紙が発見されました。これが、彼の犯行計画を裏付ける決定的な物的証拠となったのです。

イルグはその夜、一旦解放されたものの、自身の計画が露見したことを悟り、深刻な自殺未遂を図ります。病院に搬送され一命は取り留めたものの、その後、正式に殺人教唆(正確には、より罪状の重い誘拐・傷害教唆を含む)の容疑で逮捕されました。

このイルグ逮捕のニュースを知ったモンテイロ氏は、複雑な感情に襲われたと語っています。「人々が殺されるのを止めるために始めた活動なのに、結果的に、たとえ犯罪者であっても、誰かを自殺未遂に追い込んでしまったのかもしれない…」。彼のこの言葉は、正義を追求する行為が、時に意図せぬ結果を招き、新たな苦悩を生むという、この活動の倫理的な重さと複雑さを、痛切に物語っています。

裁判でイルグは無罪を主張し続けましたが、圧倒的な証拠を前に有罪判決が下され、最終的に約8年間の懲役刑が確定しました。この事件は、モンテイロ氏とミラー氏たちの勇気ある「介入」が、まさに現実の誘拐・監禁・薬物漬けという、想像を絶する悲劇を未然に防いだ(あるいは、ジェニファーの命を救った)、極めて重要な成功例となりました。しかし、それは同時に、彼らにさらなる倫理的な問いを突きつけることにもなったのです。

キルリストに蠢く悪意〜多様な依頼者たち

ロン・イルグ事件はあまりにも異様でしたが、Besa Mafiaのキルリストに記されていた悪意は、それだけではありませんでした。そこには、人間の持つ様々な黒い感情〜憎悪、嫉妬、復讐心、強欲、保身〜が渦巻いていたのです。

  • ニュージャージー州の少年事件〜オンラインで知り合った14歳の少年に対し、性的な目的で近づき、手なずけていた(グルーミング)男がいました。少年がその関係を恐ろしく思い、親に相談したことを知った男は、逆上し、口封じのためにBesa Mafiaに少年の殺害を依頼しました。報酬として提示されたのは、2万ドル(当時のレートで200万円以上)相当のビットコイン。未成年者に対する卑劣な行為の上に、その口封じのために殺害を依頼するとは… まさに悪魔の所業です。モンテイロ氏たちはこの情報を警察に通報し、幸いにも少年は保護されましたが、犯人の男がその後どうなったかは、報道からは明らかになっていません。

  • ネバダ州の女性、クリスティ・リン・フェルキンス〜彼女は、別れた元夫に対する強い憎しみから、その殺害をBesa Mafiaに依頼。2016年の数ヶ月間にわたり、サイト管理者(Yura)と連絡を取り合い、報酬として合計12ビットコイン(当時約50万円相当)を送金していました。彼女は元夫の具体的な居場所や行動パターンといった情報も提供しており、殺意は極めて強固なものだったようです。Besa Mafiaが詐欺サイトであったため、幸いにも実行はされませんでしたが、彼女の依頼は捜査当局に発覚し、後に殺人依頼(殺人教唆)の罪で起訴され、有罪を認めて懲役5年の実刑判決を受けています。

  • その他の事例〜モンテイロ氏が解析したメッセージの中には、依頼の動機やターゲットとの関係性が、さらに多岐にわたるケースが数多く含まれていました。ビジネス上のトラブル相手を排除したい、多額の保険金を手に入れたい、ストーカー行為の邪魔になった人物を消したい、自分に不利な証言をしそうな人物を黙らせたい…。リストに名前が載っていた人物の中には、依頼から数週間後、あるいは数ヶ月後に、不審な状況で「自殺」として処理されていたり、明らかに他殺と疑われる状況で亡くなっていたりするケースも、複数存在したとモンテイロ氏は示唆しています。もちろん、それらが全てBesa Mafiaの依頼と直接結びついていると断定することはできません。しかし、リストに名前があったという事実と、その後の不可解な死。その間にある不気味な関連性を考えると、背筋が寒くなるのを禁じえません。背後には、脅迫、住居侵入、隠しカメラの設置、薬物の不正使用といった、依頼者たちの異常で執拗な行動があったことも、メッセージのやり取りから窺えるといいます。

これらの事例が示しているのは、Besa Mafiaが決して特殊な異常者だけが集まるサイトではなかった、ということです。依頼者の多くは、表向きは普通の社会生活を送っている(ように見える)人々でした。しかし、彼らの心の中には、満たされない欲望、抑えきれない憎悪、そして問題を暴力によって安易に解決しようとする、危険な思考が潜んでいた。そして、ダークウェブの匿名性と、Besa Mafiaという(偽りの)プラットフォームが、その心の闇を具体的な「殺人依頼」という行動へと増幅させ、後押ししてしまったのです。

刑事時代、僕が最も恐ろしいと感じたのは、突発的な激情による犯罪よりも、むしろ、普通の隣人がある日突然、冷徹な計画性と強い悪意をもって罪を犯す瞬間でした。Besa Mafiaの依頼者たちの姿は、まさにその恐ろしさを、現代的なテクノロジーというフィルターを通して、改めて見せつけているように思えるのです。

介入か、傍観か〜倫理の狭間で揺れた人々

エイミー・オールワイン事件の悲劇と、ロン・イルグ事件での介入の成功(そしてそれに伴う苦悩)。これらの経験を経て、クリス・モンテイロ氏とジャーナリストのカール・ミラー氏は、もはや単なる情報収集者や傍観者ではいられなくなりました。彼らの手元にある「キルリスト」は、単なるデータではなく、今まさに危険に晒されているかもしれない、生身の人間の名前のリストでした。

「法執行機関に情報を渡すだけでは不十分かもしれない。彼らが動くのを待っていたら、手遅れになるかもしれない。自分たちで、もっと直接的に動くしかないんじゃないか?」

彼らは、非常に困難で、危険を伴い、そして何より、倫理的に極めて重い決断を迫られます。それは、リストに名前が載っている潜在的な被害者たちに、自分たちの手で直接連絡を取り、差し迫った危険を警告するという、前例のない「介入」でした。

しかし、この試みは、彼らが想像していた以上に困難を極めました。カール・ミラー氏が、リストに記載された電話番号に片っ端から電話をかけても、反応は惨憺たるものでした。「どちら様ですか? いたずら電話はやめてください!」「何かの詐欺でしょう? もうかけてこないでください!」と、即座に電話を切られるのが関の山。当時、世界的に新型コロナウイルスのパンデミックが発生しており、それを悪用した詐欺電話が横行していたことも、人々の警戒心を高め、彼らの警告を信じてもらえない一因となっていました。

「あなたがダークウェブで殺し屋に狙われています」… 冷静に考えれば、そんな電話をいきなり信じろという方が無理な話です。中には、「面白い冗談だね!」と友人と一緒に電話口で笑い転げる人や、「もし危険が迫っているなら、かかってこいってんだ!」と、逆に息巻く人さえいたそうです。善意からの警告が、全く届かない。それどころか、嘲笑され、拒絶される。その現実に、彼らは打ちのめされそうになります。

電話での警告は有効ではない。そう悟った彼らは、戦略を変更せざるを得ませんでした。世界中に広がるジャーナリストのネットワークを駆使し、リストに載っている人物が住む国や地域の、信頼できる現地のジャーナリストや調査員に協力を依頼。彼らに、物理的に被害者の自宅や職場まで足を運んでもらい、直接、対面で、証拠を示しながら状況を説明し、警告してもらうという、非常に手間とコストのかかる方法に切り替えたのです。

この地道なアプローチは、ようやく効果を発揮し始めました。直接会って、モンテイロ氏が収集したメッセージの記録など、具体的な証拠を提示されることで、人々はようやく事態の深刻さを理解し始めました。警察に相談する人、身辺警護を依頼する人、あるいは、依頼者と思われる人物に心当たりがある場合は、警察と協力して捜査を進める動きにも繋がっていきました。

しかし、この一連の「介入」は、客観性や中立性を重んじる伝統的なジャーナリズムの規範からは、大きく逸脱するものでした。彼らはもはや、事件を外から観察し、報じるだけの存在ではありません。事件の展開そのものに深く関与し、その行方を左右しようとする、能動的な「当事者」となっていったのです。

ミラー氏は、自分たちの行動を「自警団(Vigilante)」〜つまり、法や警察に頼らず、自分たちの手で悪を裁き、治安を守ろうとする集団〜と呼ばれることには、強い抵抗感を示しました。彼らの目的は、決して警察に取って代わることではなく、あくまで警察の活動を補完し、連携することを目指していたからです。しかし、「ものすごく積極的なジャーナリストか、調査員のような、その中間の奇妙な存在」と彼ら自身が表現するように、その行動は異例であり、常に危うさを伴っていました。

元刑事の立場から見ても、彼らの行動は極めて異例であり、法的なリスクも大きいものでした。しかし同時に、目の前にある明らかな人命の危機に対して、何もせずにいられないという彼らの気持ちは、痛いほど理解できるのです。捜査官もまた、法律や規則という枠の中で、時には「もっと踏み込めないのか」というジレンマや無力感と戦っています。法を守ることと、目の前の命を救うこと。その狭間で揺れ動くのは、彼らだけではなかったはずです。

この活動は、「サイバー自警団活動 (Cyber Vigilantism)」という文脈で捉えることもできます。これは、インターネットを利用して、法的な枠組みの外で、不正や社会規範からの逸脱に対して、暴露や制裁などを行う行為を指します。モンテイオ氏たちの行動は、法執行機関の対応への不満や限界(エイミー事件で露呈した)と、リスト上の被害者への強い責任感から生まれており、その動機の一部は合致します。しかし、彼らの目的が主に人命救助であり、可能な限り法執行機関との連携を図ろうとした点は、単なるネットリンチとは一線を画します。それでもなお、誤認逮捕のリスク(後述)、プライバシー侵害の可能性、そしてジャーナリズム倫理との緊張関係といった、サイバー自警団活動に固有の倫理的・法的問題を、彼らは常に背負い続けていたのです。

そして、そのリスクは、最悪の形で現実のものとなります。

Besa Mafiaの運営者Yuraが、自分を追い詰めるモンテイロ氏への報復として、

「モンテイロこそが、この殺人依頼サイトBesa Mafiaの真の運営者である」

という、完全な捏造情報を、イギリスの国家犯罪対策庁(NCA)に匿名で密告したのです。ダークウェブからの情報は真偽の判断が難しく、NCAはこの悪意ある偽情報を鵜呑みにしてしまいました。

結果、モンテイロ氏は、ある日突然、NCAによって自宅を強制捜索され、コンピューターや関連機器を全て押収され、テロ容疑者さながらに、一時的に逮捕・拘留されるという、信じられないような屈辱と恐怖を味わうことになります。

真実を追求し、人々の命を救おうとしていた人間が、犯罪者の狡猾な罠によって、逆に犯罪者として扱われてしまう。これ以上の悪夢があるでしょうか?

この出来事はモンテイロ氏の心を深く傷つけ、彼は一時期、全ての調査から手を引き、絶望の淵に沈むことさえ考えたといいます。犯罪者が、法執行機関の持つ「通報システム」という正義のツールを、自らの保身や報復のために悪用する。これは、匿名情報に頼らざるを得ない現代の捜査活動が抱える、深刻な脆弱性をも示しています。

それでも、モンテイロ氏とミラー氏は、最終的に活動を再開しました。彼らの執念と、多くの協力者たちの支援によって、スペイン、アメリカ、スイス、オーストリアなど、世界各地で、Besa Mafiaを利用して殺人を依頼した人々が、次々と特定され、逮捕されるという具体的な成果も生まれ始めました。これらの逮捕は、改めて重要な事実を世に示しました。それは、たとえ依頼した先のサイトが詐欺であり、結果的に誰も殺されなかったとしても、殺意を持って具体的な依頼をし、その対価として金銭を支払う行為そのものが、「殺人教唆(Solicitation of Murder)」という、それ自体で極めて重い犯罪として処罰されるということです。

モンテイロ氏とミラー氏の物語は、情報が瞬時に世界を駆け巡り、ネット上の悪意が現実の脅威となるこの時代に、ジャーナリストや研究者、あるいは僕たち一人ひとりが、知ってしまった情報に対して、どこまで責任を持ち、どのような行動をとるべきなのか、という、普遍的で、しかし極めて現代的な、重い問いを投げかけているのです。

法執行機関の壁〜ダークウェブ捜査の困難な現実

Besa Mafia事件は、その衝撃的な展開と同時に、現代の法執行機関が、ダークウェブのような匿名性の高いサイバー空間で発生する犯罪に立ち向かう上で、いかに多くの、そして深刻な困難に直面しているかを、まざまざと浮き彫りにしました。その難しさは、身をもって経験してきたところです。

1. 技術的な壁〜匿名性の砦

最大の障壁は、やはりTorネットワークなどが提供する高度な匿名性です。
通信経路を複雑に暗号化し、中継することで、利用者のIPアドレス(ネット上の住所)や、サーバーの物理的な所在地を特定することを極めて困難にします。これは、犯罪者にとっては都合の良い隠れ蓑となります。また、ビットコインのような暗号通貨は、従来の銀行システムのような中央管理者が存在せず、特にミキシングサービスなどを利用されると、資金の流れを追跡することも容易ではありません。
捜査機関も、これらの技術に対応するための専門知識やツールを常にアップデートし続けてはおりますが、それはまさに「いたちごっこ」の状態に近いのが現実です。

2. 国境という壁〜管轄権と国際協力

ダークウェブ上の犯罪は、本質的に国境を越えます。
Besa Mafiaの事件でも、サイト運営者(Yuraは東欧ルーマニアからのアクセスが示唆されていました)、依頼者、そしてターゲットとなった人々は、文字通り世界中に散らばっていました。これは、捜査や訴追において、深刻な「管轄権」の問題を引き起こします。
例えば、日本の警察が日本国内の依頼者を逮捕できたとしても、海外にいるサイト運営者や他の国の依頼者を追跡し、逮捕・訴追するためには、非常に複雑で時間のかかる国際的な法執行協力(捜査共助)の手続きが必要となります。(これが、現実問題かなり厄介!)

モンテイロ氏たちが指摘していたように、公式なルートを通じた情報伝達は、時に情報の鮮度や詳細さが失われたり、現地の捜査官との直接的な連携が難しかったりするケースも少なくありません。

僕も国際的な犯罪捜査に関わりましたが、各国の法制度の違い、言語の壁、そして時には政治的な思惑なども絡み合い、思うように捜査が進まないもどかしさを何度も経験しました。エイミー・オールワイン事件におけるFBIと地元警察の連携不足も、規模は違えど、組織間の壁がいかに捜査の妨げとなりうるかを示す、悲しい一例と言えるでしょう。

3. 証拠の壁〜デジタル証拠の扱いの難しさ

ダークウェブから収集されたデジタル証拠の扱いも、法的な課題を多く含んでいます。Besa Mafia事件の解明の鍵となったメッセージデータは、モンテイロ氏によるIDOR脆弱性の利用、つまり技術的には不正アクセスにあたる可能性のある行為によって取得されました。オールワイン裁判で弁護側がその証拠能力を争ったように、たとえ真実を示す情報であっても、その入手方法が違法(またはグレー)であった場合に、法廷で証拠として認められるかは、国や法制度、そして証拠収集の主体(国家機関か、民間人か)によって判断が分かれる可能性があります。

これは非常にデリケートな問題です。また、ダークウェブ上のデータは揮発性が高く(すぐに消えてしまう)、改ざんも比較的容易であるため、その証拠としての完全性や信頼性を法廷で立証することも、技術的に困難な場合があります。

4. リソースと優先順位の壁

法執行機関は、限られた予算と人員の中で、国家レベルのサイバー攻撃、大規模なオンライン詐欺、ランサムウェア攻撃、児童ポルノ問題など、増え続ける多種多様なサイバー犯罪全体に対処しなければなりません。欧州刑事警察機構(Europol)などの国際機関の報告書を見ても、サイバー空間の脅威は年々深刻化・巧妙化しており、全てに十分なリソースを割くことは不可能です。

そうなると、どうしても捜査の「優先順位付け」が必要になります。Besa Mafiaのような個別のサイトに対する捜査は、例えば、国の重要インフラを狙ったサイバー攻撃や、大規模な金融詐欺事件などと比較した場合、相対的に優先順位が低くならざるを得ない、という厳しい現実もあるのです。

FBIのインターネット犯罪苦情センター(IC3)の統計によれば、2024年に報告されたサイバー犯罪全体の被害額は166億ドル(約2.5兆円!)を超え、特に暗号通貨関連の詐欺被害は93億ドル(約1.4兆円)に達し、前年比66%増という驚異的な伸びを示しています。このような状況下で、法執行機関が全てのサイバー犯罪に完璧に対応することは、物理的に不可能なのです。

犯罪種別 (FBI IC3 2024年報告より抜粋)報告損失額 (2024年, 米ドル)主な傾向・注記暗号通貨関連詐欺 (全体)93億ドル以上前年比66%増。投資詐欺が大部分。投資詐欺 (全体)65億ドル以上最も損失額が大きい。暗号通貨を利用したものが多数。ビジネスメール詐欺 (BEC)27億ドル以上損失額第2位。巧妙な手口が増加。テクニカルサポート詐欺14億ドル以上損失額第3位。高齢者の被害が深刻。ランサムウェア(被害報告は増加傾向)重要インフラへの攻撃が依然として脅威。被害額の算出は困難。

(注〜上記は報告ベースの数値であり、実際の被害総額はさらに大きいと考えられます)

これらの状況は、法執行における構造的な非対称性を浮き彫りにします。犯罪者は、グローバルに分散し、匿名化されたインフラを駆使して、国境や法制度を軽々と飛び越えて活動する。一方で、法執行機関は、依然として国境や法律、そして官僚的な手続きに縛られている。このミスマッチが、ダークウェブ上の犯罪に対する迅速かつ効果的な対応を、構造的に困難にしているのです。

さらに言えば、Besa Mafiaのようなサイトは、単独で存在していたわけではなく、より広範な「犯罪・アズ・ア・サービス(Crime-as-a-Service, CaaS)」と呼ばれる、サイバー犯罪のエコシステムの一部として機能していた側面もあります。これは、サイバー犯罪に必要なツール、プラットフォーム、ノウハウなどが、まるでビジネスのサービスのように、分業化され、提供される仕組みのことです。Besa Mafiaの運営者Yuraは、おそらく、既存の違法なホスティングサービスを利用し、どこかから入手したサイトのテンプレートを使い、暗号通貨の決済システムを組み込んで、比較的容易にこの詐欺サイトを立ち上げたのかもしれません。特定の「サービス」(たとえそれが偽物であっても)が、より大きな犯罪インフラの一部として提供される。これもまた、現代のサイバー犯罪の厄介な特徴なのです。

オンライン殺し屋神話の終焉?〜映画『ヒットマン』と残酷な現実

さて、ここまでBesa Mafia事件の暗い側面を多く語ってきましたが、この事件は同時に、世間に広く信じられている(あるいは、信じたいと願われている?)「オンラインでプロの殺し屋を簡単に雇える」という神話がいかに現実離れしているかを、皮肉な形で証明してもいます。

クリス・モンテイロ氏や他の多くの専門家が繰り返し指摘するように、ダークウェブ上でアクセス可能な「本物の」殺し屋サービスというのは、基本的に存在しないか、存在したとしても極めて稀です。そこで見つかるサイトのほとんどは、Besa Mafiaのような、依頼者から金銭を騙し取ることを目的とした詐欺サイトか、あるいは、法執行機関が殺人依頼者を捕まえるために仕掛けた「おとり捜査」用の偽サイトなのです。ハリウッド映画や犯罪小説などが広めた、「ネットで数回クリックすれば、腕利きのヒットマンが雇える」というイメージは、残念ながら(と言うべきか、幸いと言うべきか)、ポップカルチャーが生み出した幻想(ファンタジー)に過ぎないのです。

この点を考える上で、非常に興味深い比較対象となるのが、近年高い評価を得た映画『ヒットマン』(原題〜Hit Man)と、そのモデルとなった実在の人物、ゲイリー・ジョンソンの物語です。

ゲイリー・ジョンソンは、1980年代後半から2000年代初頭にかけて、アメリカ・テキサス州ヒューストンで、普段は大学で心理学や哲学を教える温厚な教授でありながら、その裏で、地元警察のおとり捜査に協力し、「偽の殺し屋」を演じていたという、驚くべき二重生活を送っていた人物です。

彼は、依頼者の期待や心理状態を巧みに読み取り、ある時は冷酷なバイカー風、ある時は冷静沈着なビジネスマン風、またある時はベトナム帰りの元軍人風… と、まるでカメレオンのように様々な殺し屋のペルソナ(役割)を演じ分けました。そして、依頼者に安心して殺害計画の詳細を語らせ、その会話を密かに録音・録画することで、なんと生涯で70件以上もの殺人依頼者を逮捕に導いたという、まさに「伝説のおとり捜査官」でした。その卓越した演技力と人間観察眼は、「その分野のローレンス・オリヴィエ(20世紀を代表する名優)」と評されたほどです。

映画『ヒットマン』は、このゲイリー・ジョンソンの驚くべき実話に着想を得ていますが、物語の多くはフィクションとして脚色されています。特に、主人公の偽ヒットマンが、依頼に来た美しい女性に心を奪われ、彼女を守るために、最終的には本物の殺人にまで手を染めてしまう… というロマンティックでスリリングな展開は、完全に映画オリジナルの創作です。現実のゲイリー・ジョンソン氏は、依頼者と恋愛関係になることも、ましてや実際に誰かを傷つけたり殺害したりすることも、決してありませんでした。彼は常に法執行機関の一員として、厳格なルールの下で活動していたのです。

しかし、このゲイリー・ジョンソンの実話と映画には、Besa Mafia事件との間に、いくつかの興味深い共通点と、決定的な相違点が見られます。

共通するのは、

This post is for subscribers in the VIP Supporter plan

Already in the VIP Supporter plan? Sign in
© 2025 KANERIN
Privacy ∙ Terms ∙ Collection notice
Start writingGet the app
Substack is the home for great culture

Share

Copy link
Facebook
Email
Notes
More